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平和ハウジングは地域に根ざしておかげさまで30年以上になります。
この八王子市横川町に事務所を構えて丸10年が経過しました。
今では“とんがり屋根の黄色い建物”がトレードマークとしてすっかり定着しているようで大変ありがたく思います。
現社長が左官職人として仕事を始め、それから住宅を手掛けたのが始まりです。
私が会社を手伝うようになってから13年経過しました。
その間、注文住宅や不動産売買の仲介を手掛け現在に至るわけですが、住まいづくりに関していろいろと試行錯誤しながらやってきましていつも思うことは、“家は売ってしまえばそれで終わりというものではない”ということです。 -
その原点は私が大学を卒業してから約9年間営業として勤務した当時大手といわれたハウスメーカー時代にあります。
もう10年以上前のことになりますが、当時は今よりも景気が良い時代で住宅なども建てればすぐに売れる時代でした。
住宅業界も現在と違い良い時代でしたが、その分社内間や他社との競合も激しく、日々勝った負けたなどノルマを達成していくのは非常に大変だったことを思い出します。
そんなわけで契約は頂くのですが、ほとんどはこちらの勝手な都合でプランもろくに打ち合わせずに出会ってから一週間で契約などということもざらにありました。当時はノルマも厳しく、「数字が人格」のようなことも言われていた時代で何の疑問もなくこなしていました。
また、工事にかかるころになれば工事担当者へバトンタッチするわけですが、その担当者も常に20件くらいの現場を抱えており相当大変だったと思います。
お客様から「結局のところ工務店へ丸投げだな」と怒られたこともしょっちゅうでした。
また、着工する時期や完成する時期などもお客様の都合ではなく、会社の決算期に合わせられたりと気の毒なお客さまも大勢いました。
自分自身も若かったので、お客様にずいぶんと生意気な対応をとったり、工事のクレームから逃げ続けていたりと、今思うと失礼なことも多かったと思います。
ただ悪いことばかりでなく、「建てて本当に良かった」という言葉や紹介なども多くいただいたので、数字だけではない仕事のやり甲斐は感じていました。
ハウスメーカーでは三多摩地区で仕事をしていましたのでその当時契約をしていただいたお客様の家の前を通ると今でも懐かしい思いがします。
規模は小さいですが地図に残る仕事だなと改めて感じます。
最終的に家の仕事を手伝うことになり会社を辞める時も何人か契約したばかりのお客様がいたのですが上司に引き継ぐ時に気が引けたことを今でも思い出します。
その中の一家族は家の買い替えだったので、それをお手伝いさせていただいたことが縁で結局ハウスメーカーでの契約をやめて当社で建築をやらせていただきました。
私にとっての第一号でしたので非常に印象深い出来事でした。そのお客様は平成20年1月に外装リフォーム等をやらせていただきました。